ボーダーコリーとマダニ予防 — SFTS・バベシア症・MDR1変異と、科学が示す正しい予防薬の選び方
春の草原は美しい。しかし、その草の先端に静かに待ち構えているものがある。
4月、気温が15℃を超えると、マダニは本格的な活動期に入る。アウトドアを愛するボーダーコリーにとって、この季節のマダニ対策は単なる「あったほうがいい」予防ではない。命に直結するリスク管理だ。
日本のマダニ — 知っておくべき4つの主要種
日本に生息するマダニは約40種。そのうちペットや人間への被害に深く関わる主要種は以下の4種だ。
| 種名 | 主な分布域 | 活動ピーク | 媒介する主な感染症 |
|---|---|---|---|
| フタトゲチマダニ | 全国(北海道〜沖縄) | 5〜10月 | SFTS、日本紅斑熱、バベシア症 |
| キチマダニ | 関東以西 | 9〜10月 | 日本紅斑熱 |
| シュルツェマダニ | 北海道・本州中部以北の山間部 | 春〜秋 | ライム病 |
| タカサゴキララマダニ | 西日本・九州 | 通年(温暖地) | SFTS |
活動の目安は気温15℃以上。日本の多くの地域では4月から10月が高リスク期にあたるが、西日本の温暖な平地では冬季も完全には油断できない。標高の高い地域も例外ではなく、山間部ではシュルツェマダニが亜高山帯(1,200m以上)にも生息する。

マダニ媒介感染症の実態 — 犬にとっても深刻なリスク
SFTS(重症熱性血小板減少症候群)— 致死率10〜30%の人獣共通感染症
2013年に国内で初確認されたSFTSウイルスは、フタトゲチマダニなどが媒介するフレボウイルス科のウイルスだ。ヒトへの致死率は10〜30%(国立健康危機管理研究機構、2024年更新データ)。
注目すべきは近年の拡大傾向だ。
- 2023年:134例(届出開始以来最多)
- 2024年:120例(累計1,050症例突破)
- 2025年:関東(神奈川県)および北海道で初確認 — 「西日本だけの病気」ではなくなりつつある
犬への影響はさらに深刻だ。犬のSFTS致死率は約40%(2024年:犬12頭の報告事例)。猫はさらに高く60%以上とされており、感染した犬・猫との接触を通じた飼い主への二次感染例(ヒト→ヒト感染は2023年に山口県で国内初確認)も報告されている。
マダニ予防は犬の健康を守るだけでなく、オーナー自身の感染リスク低減にも直結している。
日本紅斑熱 — 年間約300件、致死例も
キチマダニやフタトゲチマダニが媒介するRickettsia japonicaによる感染症。近年は年間約300件の報告があり、特に9〜10月にピークを迎える。治療が遅れると多臓器不全を引き起こす可能性がある(2019年は死亡13例)。
犬バベシア症 — 輸血が必要になることも
Babesia gibsoni(アジア型)による犬特有の寄生虫感染症。フタトゲチマダニが主な媒介経路だ。九州・西日本に多いが、青森まで報告があり分布域は広い。
主な症状は溶血性貧血(感染犬の87%に確認)と血小板減少(98%)。発熱、元気消失、黄疸、赤色尿が特徴的で、重篤例では輸血が必要になる。完治後も再発率は約35%(日本獣医師会誌, 68巻, 2015)と高く、慢性化しやすい点が厄介だ。
ボーダーコリーとMDR1変異 — 薬を選ぶ前に知っておくべきこと
ボーダーコリーに関して頻繁に語られる話題が**MDR1変異(ABCB1遺伝子の4塩基対欠失: c.227_230del)**だ。この変異は血液脳関門を構成するP糖タンパク質の機能を低下させ、特定の薬剤が脳内に高濃度で蓄積するリスクを生む。
ただし、ボーダーコリーにおける変異頻度はコリーとは大きく異なる。これは多くの資料で混同されているため、明確に区別する必要がある。
| 犬種 | MDR1変異アレル頻度 | データ元 |
|---|---|---|
| ラフコリー / スムースコリー | 35〜40% | Washington State University (WSU) |
| シェットランドシープドッグ | 15〜35% | WSU |
| ボーダーコリー(北米306頭) | 約1.6% | Mealey et al., PNAS 2004 |
| ボーダーコリー(ヨーロッパ13ヶ国) | 0% | 複数研究 |
| ボーダーコリー(メキシコ) | 約3.3% | Kawabata et al., 2012 |
ボーダーコリーのMDR1変異頻度は低く、コリー系犬種と同列に論じるのは正確ではない。とはいえ「ゼロではない」以上、特に高用量投与が想定される治療(疥癬へのイベルメクチン大量投与など)の前は遺伝子検査で確認することが望ましい。
フィラリア予防量のイベルメクチン(6〜12μg/kg)は、MDR1変異犬においても通常安全とされている。これは予防量と治療量の間に大きなマージンがあるためだ。
予防薬の選択 — 最新エビデンスに基づく比較
イソオキサゾリン系 — 現在の主流
内服タイプの予防薬として現在主流となっているイソオキサゾリン系は、GABA作動性および/またはグルタミン酸作動性の塩素イオンチャネルを阻害することで、ノミ・マダニを致死させる。哺乳類の受容体に対する選択性が昆虫・ダニの受容体より低いことが安全性の根拠だ。
重要なのは、イソオキサゾリン系の主要3成分については、MDR1変異犬(ホモ接合体)での安全性が独立した臨床試験で確認されていることだ。
| 成分名 | 代表製品(日本) | 持続期間 | MDR1変異犬での安全性確認 | 論文 |
|---|---|---|---|---|
| アフォキソラネル | ネクスガード / ネクスガード スペクトラ | 1ヶ月 | 推奨量の3.8〜4.7倍でも有害事象なし | Drag et al., 2022(PMC9543253) |
| フルラネル | ブラベクト | 3ヶ月 | 推奨量の3倍(168mg/kg)でも有害事象なし | Heckeroth et al., 2014(PMC3975640) |
| ロチラネル | クレデリオ / クレデリオ クワトロ | 1ヶ月 | 推奨量の5倍でも神経症状なし | Parasites & Vectors, 2025(PMC12020015) |
これらの試験はいずれも、コリー犬種(MDR1ホモ変異体)を対象に実施された正式な安全性評価であり、変異頻度の低いボーダーコリーに適用する際のエビデンスとして有効と考えられる。
ロチラネルはGABA受容体への阻害活性が他2剤より弱い特性があり、中枢神経系への影響が少ない可能性が論文で示唆されている(Zhou, J Vet Pharmacol Ther, 2022)。
なお、サロラネル(シンパリカ)については、2018年にFDAが一般犬種での神経症状報告に対し注意喚起を発しており、MDR1変異犬を対象とした独立した安全性試験データは現時点では限定的だ。
スポットオン製剤 — 内服が難しい犬のための選択肢
フィプロニル系のスポットオン製剤(フロントライン スポットオン等)は、皮脂腺に蓄積・全身に拡散するタイプで生後10週齢から使用可能。マダニへの効果持続は約1ヶ月。血液を介さないため全身への薬剤移行量が少ないが、毛に触れた直後は他のペットや子どもへの接触を避ける必要がある。
内服を嫌がる犬への選択肢として有効だが、予防効果の持続期間と利便性では内服型に分がある。

実践的なマダニ対策
チェックのタイミングと方法
屋外から帰宅したら30分以内に全身チェックを行うことが推奨される。マダニが吸血を開始するまでには数時間かかるため、早期発見で感染リスクを大幅に低減できる。
チェック重点箇所:
- 耳の付け根・耳の内側
- まぶたの周囲
- あごの下・のど
- 前脚・後脚の付け根(鼠径部)
- 指の間・肉球の隙間
- しっぽの付け根
発見したマダニの除去方法
ピンセットや素手での無理な除去は危険だ。マダニの体を強く押すと体液が逆流し、感染リスクが高まる。市販の「マダニ除去ツール(フックタイプ)」を使い、噛みついた箇所に近い根元からゆっくり回転させながら引き抜く。除去後は傷口をアルコールで消毒し、7〜14日間の経過観察を行う。発熱・食欲不振・元気消失などの症状が現れた場合は速やかに獣医師に相談する。
環境管理も予防の一部
マダニは草地・低木・落ち葉の堆積した場所を好む。散歩コースの草むらへの深入りを避けること、庭の除草・落ち葉の片付けといった環境整備も有効な予防手段だ。
自然の中で駆け回ることは、ボーダーコリーが本来持つ喜びだ。その喜びをリスクで封じ込めるのではなく、薬剤、観察、環境管理を組み合わせて守ることが、犬本来の姿を尊重する飼い方だと言える。
ROSCH KENNELについて: 鹿児島・霧島錦江湾国立公園内、標高750mに位置するボーダーコリー専門ブリーダー。全繁殖犬に15項目以上の遺伝子検査を実施し、結果を100%公開している。ENSプログラムは全リターに実施している。
参考文献
- 国立健康危機管理研究機構(JIHS)「感染症発生動向調査で届出られたSFTS症例の概要」2024年10月31日更新
- 厚生労働省「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)について」
- 国立健康危機管理研究機構「感染症法に基づくライム病の届出状況(2006年〜2024年)」
- 日本獣医師会誌 第68巻(2015)「犬バベシア症」
- Mealey KL, et al. “Breed distribution and history of canine mdr1-1Δ, a pharmacogenetic mutation that marks the emergence of breeds from the collie lineage.” PNAS, 2004. doi:10.1073/pnas.0402374101
- Drag M, et al. “Safety of oral afoxolaner formulated with or without milbemycin oxime in homozygous MDR1-deficient collie dogs.” Journal of Veterinary Pharmacology and Therapeutics, 2022. PMC9543253
- Heckeroth AR, et al. “Safety of fluralaner, a novel systemic antiparasitic drug, in MDR1(-/-) Collies after oral administration.” Parasites & Vectors, 2014. PMC3975640
- Safety of Credelio Quattro in homozygous MDR1-mutant collie dogs. Parasites & Vectors, 2025. PMC12020015
- Zhou X. “Current review on the mechanisms of action and regulatory approval status of isoxazoline ectoparasiticides.” Journal of Veterinary Pharmacology and Therapeutics, 2022.
- Kawabata A, et al. “Prevalence of the MDR1 c.227_230delATAG mutation in Border Collies from Mexico.” Journal of Veterinary Diagnostic Investigation, 2012.
- Washington State University Veterinary Clinical Pharmacology Laboratory. “Affected Breeds — MDR1 Mutation.” vcpl.vetmed.wsu.edu
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